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ポルシェ専門店,これが分かればポルシェパラノイア 407
2011.04.25

大船渡から国道45号線を北上し、釜石港を見下ろすトンネル手前の高台から直下の下水処理場を見下ろすと、おもちゃ箱の中のように無造作に車が転がっています。
被災地は寸断された輸送経路の問題もあり、特に燃料の確保を優先していたので復旧活動も速かったのでしょう。写真上部にかすかに見えるオイルターミナルからは、大型のタンクローリー車が引きも切らさず忙しく出入りをしています。

釜石市から国道45号線を10分ほど宮古市に向かった両石湾まで北上しました。大津波に破壊された防潮堤が遊び終えたおもちゃ箱の中の積み木のよう転がっています。写っている国道も波にさらわれ応急道路に付け替えられ通行できるようになっていました。

津波津波





正面左、漁業施設の鉄骨建物は地震による地盤沈下でしょう海水に浸っていました。震災前の国道はもう少し右よりの防潮堤の外側を左に弧を描いて漁業施設の手前脇を通っていたはずですが、今は手前で左折し川沿いの緩い上り坂に続きます。電線のない電柱が目立つ中、目を移すと流失した民家の庭先でテレビ局の中継車がルーフに設えたカメラを回しています。

津波津波





山肌ははぎ取られ岩肌を露出しています。更に上のブッシュの中までいたる所に家財道具やシートなどが散乱し、津波の押し寄せた舌先がくっきり区別できます。昨年末にしめ縄を付け変えたのでしょうか、石造りの鳥居が折れて倒れているのが見えます。

津波津波




国道45号線がつづら折りで伸びる先に釜石から三陸海岸沿いに宮古に向かう山田線の鉄橋が見えます。更にその上には、45号線パイパス道路の橋梁も見えますが、両石湾の防潮堤防を押しのけ破壊した大津波は、国道沿いに湾に注ぐ短い小さな沢を逆流し、山田線の鉄橋の高さまで到達しています。既設のガードレールはぼろ布のように沢に向かって垂れ下がっています。仮にこれが車が衝突してこのような状態にまで破壊するのであれば、大型トラックであってもあり得ない破壊力なのではないでしょうか。

津波津波




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ポルシェ専門店,これが分かればポルシェパラノイア 406
2011.04.24

唐丹駅から釜石市内に向け北へ1.5km位、国道45号線は右曲がりに引き絞った弓のように弧を描いています。NTTの電話施設から唐丹湾を望む唐丹の中心地です。高台の唐丹中学校が国道を背に太平洋を一望しています。
春霞の中、形の美しい松林を隔て防潮堤越しに茫洋と見える辺りが唐丹小学校です。扇型の地形で周囲は山に囲まれ全ての生活品は、ここで用が足りる漁業主体の集落のようです。
津波津波




大規模な防潮堤は大津波でその一部が倒壊し海沿いの一部の家屋と漁業施設は、ほとんど跡形もなく破壊しつくされた状態です。道路は確保されたようですが、人影はなくここもひっそりと時間が止まったような錯覚さえ覚えます。
集落は堤防に沿った1/3程の家屋と漁業施設が流失しています。

津波津波





唐丹湾から更に北上し約8km程で釜石港を眼下に望むトンネル手前の高台から港内を眺めました。鉄鉱石のクレーンが斜めに傾き水没し、その先の釜石漁港には鉱石運搬船とおぼしき大型船が岸壁を乗り越え魚市場の場内に停泊しています。その様は座敷に土足のまま座り込んだようにさえ見えます。
津波のエネルギーの凄しさをここでも見せつけられました。

津波津波





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ポルシェ専門店,これが分かればポルシェパラノイア 405
2011.04.23

大船渡市から釜石市に向かう国道45号線は約30km程のうち8kmは、リアス式海岸線にも似た急カーブが連続し、鍬台峠で釜石市に入ります。2km程の直線のトンネルを抜けると平行して走る左手の鉄道は大船渡駅から先、釜石市までの三陸鉄道南リアス線となっていますが、唐丹駅から眺めた唐丹湾の防潮堤です。国道45号線の先、リアス式海岸線に沿って津波に備えた防潮堤防が右に向け伸びています。
しかし、堤防の内側は完全に破壊しつくされ人の気配はありません。
救助や捜索活動はされないまま時間が止まったように静まりかえっています。遠方に見える鉄筋の建物は釜石市立唐丹小学校です。
山並みが海岸に落ち込んだその先は、死骨崎で左手唐丹湾を差し渡した岬が仏ヶ崎と地図に記されています。

津波津波




大船渡方面から釜石市唐丹に向け、鍬台トンネルを抜けた下り勾配の国道45号線が山裾を弧を描くように見えます。国道の土手に沿って押し流された木造家屋が原型を残し土手に乗り上げています。周辺は家と言わず、漁船、車、家具、DVD、炊飯器など、この大津波が襲う前は毎日、食事のとき食卓に並んでいたであろう中身の入った醤油差し、半分ほど残っている蜂蜜の瓶があたり一面、ところ構わず打ち上げられています。今はここに散乱していますが、大津波が襲う前までそれぞれ日常使われていた物で、今は時間が止まったように使命を停止しています。

津波津波




唐丹湾に沿って張り巡らされた防潮堤を超した大津波は唐丹駅周辺の国道が最も低くなった所では駅へ回り込む取り付け道路の境界に設けてあった柵も人の足よりも太い鉄パイプも飴のようにへし曲げ、一段高くなっている駅際の土手まで押し寄せています。
大型トラックと思われる焼けただれた鉄の固まりが、防風林の松を根こそぎ巻き込み駅の土手際に手つかずのままでした。
町の中心部は人手が入って捜査や片付けが行われていますが、少し離れるとご覧のように孤立状態です。

津波津波




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ポルシェ専門店,これが分かればポルシェパラノイア 404
2011.04.21

高田松原公園から国道45号線を越して、立て看板にまとわり付いたのでしょう。松の生木が絡みつき根本からシャフトが折れ曲がって倒れた立て看板です。遙か遠方のコンクリートの建物も3階の屋根まで津波の被害に遭っていますから、手前3層の集合住宅は勿論、吹き通しの躯体のみに変わり果てています。
津波津波




こちらの立て看板は更にひどい壊れ方で骨組みのみ残し、完全に横たわっています。看板の周辺はやはり松の生木から、あらゆる物がまとわりついた状態で、優に大型ダンプ1台分に匹敵する量です。
国道45号線がドラゴンレール大船渡線と立体交差する箇所は海側に面した土盛りが流失しています。陸橋の下を通る線路は津波で流失してなくなってしまい国道は平面交差する仮設道路で大船渡方面につながっています。
花巻方面から陸前高田市内入る国道340号線高田街道が、国道45号線と交差する頃には交通量も震災前と変わりない状況にまで減少し、ご覧の通りです。前方の山裾を抜ける国道は紙一重で大津波の難を逃れた木造家屋が見受けられ、家屋のすぐ下の土手まで漂流物が押し寄せています。
このような状態は震災前に誰もが予想できなかったでしょう。
運命とは、このような形で表現するのでしょうか。

津波津波




国道45号線は橋脚のみ残し、相当の重量があったであろう橋桁は全て押し流され残っていません。その先、進行方向には津波から逃れた木造家屋が見えます。何十トンもある橋桁が全て流失し、なだらかな上り坂の先には幸運にも難を逃れた木造家屋、その境界は誰をも知ることができない区分なのでしょう。
左カーブで曲がる海沿いの土盛りは押し寄せた津波に半分以上削ぎ落とされ、この立体工事が造られた当時に逆戻りした状態です。何層にも積み重ねられた変わり目がくっきりと分かり、土盛り全体を見るとその表面には皮膚ほどの厚さで舗装のアスファルトが残っています。この大津波の破壊力を数値で現すと、どうなるのでしょうか。

津波津波





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ポルシェ専門店,これが分かればポルシェパラノイア 403
2011.04.20

陸前高田市内の河口沿いの被災状況です。大津波のエネルギーの凄しさを見せつけられました。二層の重量鉄骨がゆがみ壁と言わず屋内の備品も全て流失しています。河口から少し離れた気仙川沿いの木造建築は跡形もなく流失し鉄骨建築の建物が一棟残っているのみです。

津波津波





340号線高田街道を市の中心に向かうと、まさに戦場の様な光景です。
自衛隊のダンプカーが瓦礫を積載し行き交っています。
市の中心に近いこともあってか国道沿いの瓦礫はほとんど片着けています。
県立高田病院も3階まで津波の被害に遭っていることが分かります。屋上の手摺りにも流失物のようなものが見受けられます。
国道45号線を左折した右手には松林の公園がありましたが見当たりません。ホテル1階のタイル張りの円柱は津波の引くときの衝撃でしょうか、タイルは天井際まで全て剥離し、コンクリート内部の鉄筋まで露出しています。
2階のベランダは流失物が盛り上がったように残り、その先から養生シートがベールかトレーンのように垂れ下がっているのが更に哀れを誘います。震災当日は友引でしたが。

津波津波





国道45号線の橋は取り付け部分が流失したのでしょうか、応急修理で通行できるようになっていました。
国道左に立つ看板の下部まで津波に浸かったのでしょう。
海に面した南向きの集合住宅は、海に近い建物が4階部分まで被害を受けているようです。
集合住宅周辺の建物は見当たりません。
道路右の南に広がる海原を見る限り、春霞に包まれ小さな波頭がきらきらと光り、何もなかったかのように今朝も穏やかです。

津波津波




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